Law & Order - Season 6, Episode 8 ====== #119 Angel ====== * 邦題:「天使のために」 * 脚本:Michael S. Chernuchin, Janis Diamond * 監督:Arthur W. Forney * 初回放映:1995-11-29 ---- ===== 事件概要 ===== ==== People v. Leah Coleman (判事:Rebecca Stein) ==== 教会で懺悔を行っていたリア・コールマンが懺悔室を出てみると、乳母車から赤ん坊がいなくなっていた。リアは警察に通報し、「懺悔室に入る前、若いプエルトリコ人を見た」と供述する。夫のキースも駆けつけるが、実は2人は別居中。リアはシングルマザーとして苦労しており、神父が相談に乗っていたという。 リアとキースは神父の勧めで記者会見を行い「娘を返してください」と涙ながらに訴える。その後、市民たちから膨大な情報が電話で寄せられるが使える物はなく、カーティス刑事はリアとともに誘拐前の足取りをもう一度たどってみることを提案。 カーティスはリアとともに街を歩き、生い立ちや教会のことなどを語り合い、最後に教会へ到着し、ともに祈る。そこでリアは「私の赤ちゃんは天国にいる」と言い出し、枕で窒息させて殺したことを自供する。「赤ちゃんはどこ?」と聞かれたリアは、焼却炉の扉を開けてみせ、刑事たちは言葉を失う。 リアのリーガルエイドに就任したファインマンは、まだ若い弁護士で殺人事件は初めてだという。彼は権利が通知されなかったことを理由にリアの自供の排除を要求。本来それは取調べの際に限定されるはずだが、リアはずっとカーティス刑事と同行していたため、取調べに準じる状況だったというのだ。判事は審問を開いてリアに証言させる。結局、カーティスはリアと同行していた間、娘を殺したかと聞いたわけでも、「帰るな」と強制したわけでもないため供述は採用される。 公判が始まり、マッコイは冒頭陳述を行うが、ファインマンは「準備が万全でない」という理由で弁護側の冒頭陳述を延期させてほしいと申し入れる。判事はこれを認め、マッコイは検察側の証人を召喚。マッコイは証人尋問を行うが、ファインマンは反対尋問や異議申し立てを一度も行わず、検察側は証明を終える。 ファインマンはようやく冒頭陳述を行うが、そこで彼はリアが娘を殺害したことを認めた上で「犯罪歴も親からの虐待もなく、我が子を愛していた被告人がこのような行為に及んだ理由はひとつしか考えられない、それは神の意思である。したがって彼女を有罪にすることは、神に疑問を呈することに他ならない」と言い出す。マッコイはその場で異議を申し立て、判事は冒頭陳述すべてを排除すると言い渡す。するとファインマンは「では『精神疾患により無罪』に答弁を変更する」と言う。答弁を変更できる期限はもう過ぎていたが、ファインマンは自分が未熟で初めて殺人事件を担当することを理由にゴリ押し。判事は答弁の変更は認めたものの「サプライズはこれ限りにするように」と厳しく言い渡す。 オリヴェットはリアに面接し、自殺傾向があることを指摘し「赤ん坊を残していくことに耐えられなかったようだ」と言う。つまり、犯行時に善悪を区別する理性はあったと思われる。 弁護側は夫のキースに続けて神父を召還。神父は、スーザン・スミス(後述)の事件が起きたときにリアが過剰に反応したことを証言する。その時神父は「殺された子どもたちは天国で神とともにいる」と言って慰めていた。 リアは自ら証言し、「殺害した時のことはよく覚えていません。トランス状態でした」と語り、次に娘と2人で生きることの辛さを述べる。彼女の生活は犯罪とテロの恐怖に覆われて殺伐としており、我が子の生きる世界としては耐え難い。天国で神といる方が娘にとっては幸せだった――。 次にマッコイの反対尋問に対し、リアは「神様は私の娘を望まれた、神父様もそう仰った」と言う。マッコイがそれに対し「貴女の言う神様はいささか利己的ではないか? 退屈紛れに貴女に娘を殺害するよう仕向け……」と言うと、リアは激昂し「殺したのは私よ! 娘は叫んだけど私が殺したの」と叫ぶ。つまり、リアは娘を殺害した時のことを覚えており、悪いことだという自覚もあったということになる。 陪審員はリアに対し、有罪の評決を下す。 ---- ===== 感想 ===== 誘拐が実は誘拐じゃなかった、という展開は前シーズンにもあったので「同じ手で二度くるかな?」という疑問はあったものの、目撃者が出て来ないことや、スーザン・スミス事件と似ていることなどから、母親とカーティス刑事が教会で語り合う場面では、もう彼女の犯行を確信してしまった。しかし焼却炉を開けてみせた場面は怖すぎる! この話の元ネタであり、作中でも言及しているスーザン・スミスは、ちょうどこのエピソードの1年前くらいに3歳と1歳の息子を殺害した女性。我が子を車ごと湖に沈め、その後「黒人の男がカージャックして子どもをさらって行った」と通報した。彼女も今回のリアのようにマスコミに向けて「子どもを返してください」と涙ながらに訴えたが、結局すべて大嘘だった。スミスの場合は子どもが「再婚の邪魔になるから」という身勝手な理由だったが、それだけに人間的というかわかりやすい。今回のリアの場合はどうだろう。 * [[https://amzn.to/3Vghxrb|"Susan Smith: Victim or Murderer" George Rekers]] 彼女の言う「殺伐とした世の中に我が子を送り出すことが辛く、いっそ神様のもとへ送りたかった」のが、まぁ一応動機といえるかもしれない。もちろん神父の言葉は、世の中の悲劇を自分なりに受け入れて対処するためだったと思う。自分の言葉が引き金だったのか――という瞬間の神父の表情がひじょうに印象的だった。 しかし本当にそうであれば、プエルトリコ人の若者をでっち上げて狂言誘拐を仕組む必要はない。そんなことをすれば人種対立を煽るだけなのに、余計に殺伐とさせてどうすんの。結局、神父の言葉はひとつの言い訳にすぎず、本当は一人で育児をするストレスに耐えかねて……だったのではないか。だから悪いことだという自覚も、あわよくば罪を逃れたいという気持ちもあったのだろうと思う。 まぁそれはそれとして今回の弁護士(リーガルエイドと言われていた)、これがどうにもこうにも憎たらしい。自供の排除を要求したくらいはいいが、何かというと「僕は殺人事件を扱うのがこれが初めてなので」とゴリ押ししてくる。判事もちょっと弁護側に甘すぎるのではないかな? まぁでも自供を採用したので検察の材料は十分であるし、弁護人の資質によって被告人の権利が損なわれることを良しとしなかったのだろうとは思うが……。 弁護側は冒頭陳述を後回し(検察側の証人尋問が全て終了してから)にしたと思ったら、検察側の証人に対して異議ありの一言もなく、反対尋問すらしない。これは何かあるなと思ったら、予想を上回るぶっとんだ弁論を始める。教会ならともかく法廷でこのような論理が通用するはずもなく、さすがの判事も弁護側の冒頭陳述を排除。かなりお怒りの様子だったが、答弁の変更はしぶしぶ認めていた。本当はこれだって期限を過ぎているのだから、突っぱねてもいいのに。 結局、マッコイが反対尋問でリアを厳しく追及して矛盾を明らかにしていき、評決は有罪。何とも後味の悪い事件だったが、まぁ少しは溜飲が下がったかな。 --- //Yoko (yoko221b) 2011-11-05// [<>]