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CSI - Season 10, Episode 21

#227 Lost & Found


事件概要

アンディ・マーシュ

ジャネット・マーシュという女性が夜中に車にひかれ、病院へ運ばれる。ジャネットの夫と2人の子どもは3年前に突然姿を消し、その事件を担当したブラス警部とずっと親密にしていた。その夜も、ジャネットは霊能者から息子が「水に近いが濡れない場所にいる」と聞いて探していたという。失踪当時、娘エミリーは15歳、息子アンディは7歳だった。

ラングストンとグレッグは事故現場で懐中電灯を発見。その懐中電灯の内部には、古い血液が付着しており、調べてみるとアンディの血液だった。そこで、改めてマーシュ家の中を徹底的に捜索。グレッグはエミリーが日記に家族への不満とともに「彼だけが私を理解してくれる」と書いていたことに気づく。エミリーの恋人は捜査に全く登場していなかった。

ニックはラングストンとともにマーシュ家のガレージを調べ、不審な液体の痕跡に気づく。その元をたどっていくと、屋根裏に置かれた頑丈なトランクに行き着き、中には白骨化したアンディの遺体が入っていた。

ブラスはジャネットの無実を信じるが、状況からみて彼女は第一容疑者。エクリーはブラスに代わって彼女の尋問を始める。ラングストンは、彼女が罪悪感から乖離現象を起こしているのではないかと疑う。

トランクに付着していた指紋の大半は父親マイクの物だったが、ひとつだけ身元不明の指紋があった。ジャネットとも、彼女の弟ビルとも一致しない。子どもたちの指紋は登録されていなかったが、グレッグはエミリーの部屋で押収した手形付きプレートから指紋を採取。その指紋もトランクの物とは一致しなかったが、リノ在住のホープ・ウィルソンという18歳の女性の労働証明書の指紋と一致する。写真を確認すると、確かにエミリーだった。

リノでホープの身柄を拘束すると、彼女は3歳の息子コナーと一緒だった。そしてコナーの父親とされるダグ・ウィルソンはエミリーの父マイク・マーシュだった。

そこへマイクが警察署に現れ「エミリーは無実だ、私がアンディを殺した!」と主張。その声は取調室にいたジャネットの耳に届き、逆上したジャネットは警官の銃を奪い、マイクに向けて発砲。マイクはその場で死亡する。

エミリーは「こんなことになったのは全部ママのせい」と言って、すべてを語る――コナーの父親は、実はエミリーの叔父であるビルだった。エミリーはビルが家に来ることを嫌がっていたが、ジャネットは昔から娘と折り合いが悪く、娘を叱責するだけだった。エミリーが妊娠してもビルは暴行を止めず、たまたまアンディがそれを目撃して「ママに言いつけてやる」と騒ぎ出したのだ。エミリーは思わず懐中電灯でアンディを殴ってしまい、アンディは死亡。そこへマイクが帰宅して事情を知り、アンディをトランクに入れて2人で逃げたのだった。


感想

ずっしり来る鬱エピ。最初は家族が突然失踪して独りになってしまったジャネットに同情したけれど、事情がわかってみれば……皆それぞれに気の毒で(ジャネットの弟以外)。

全体の雰囲気はすごく良かったと思うが、細かいところをあげつらっていくと、例によってまぁ、色々あることはある。子どもの遺体がずっと屋根裏にあって気づかないものなのか、とか、エミリーの日記や手形を調べていないのはなぜか、とか、エミリーの「恋人」は結局誰だったのか、とか。車が発見されて捜査がそちらに移った、という説明はあったが、結局そちらも行き止まりになったのだし、失踪者の周辺を調べないのはどうしても手抜きに思える。

エミリーの「恋人」は叔父さんだったのかな。家の中で孤独を抱えていた彼女にとって、叔父さんはただひとり、自分を大切にして可愛がってくれる人だったのだろう。大人だけどまだ若くて独身のようだし、憧れの延長のようなほのかな恋心を抱いたとしてもおかしくない気がする。まさかレイプされるとは思わなかっただろうし、「自分を連れ出してほしい」という日記の記述は、半分空想の夢物語だったと思う。しかしそれがあったから、エミリーは「自分が誘惑したと責められる」と怯えたのだろう。

そのビルには失踪当時「鉄壁のアリバイがあった」というが、実際にはエミリーがアンディと言い争う直前まで一緒にいたわけだよね。その日、何時何分に何があったかもよくわかっていなったのに、そこまで鉄壁のアリバイがあるというのも、何だか偽装くさい。

それから、トランクの内側にあった指紋は結局誰のものだったのか。これは父も母も叔父もエミリーも違ったので、アンディ本人ということになる。そうなると「早すぎた埋葬?」という疑問も浮かぶわけだが、場所は蓋のへりの内側だったので、それはないかな。キャンプ用品を片付けた時に付いたものだろう。

また、モルグではロビンス先生とラングストン先生の会話に少々違和感を感じる。「私は死刑反対派だが、子どもを殺した者だけは別」って矛盾してないか? 子どもを殺すことが死刑に値する罪だと考えるなら、それは死刑容認だと思うのだ。せいぜい慎重派。ロビンス先生は「拷問してギロチンにかけるべき」と口にするが、すべての事情が明るみに出た今、エミリーをそうすべきだと思う?

脚本家がこの台詞を入れたのはおそらく、アンディの無惨な姿に対するフォローとともに「見かけがいかに当てにならないか」を示す意図があったのではないかと思う。キャサリンが、ジャネットの無実を信じるニックに対して「あれが父親だとしたら、どう考える?」と言ったように、先入観に捕らわれていると事実を見誤る、と言いたかったのではないだろうか。しかしベテランの検死官・犯罪学者であるお二人にこの役割を負わせたのは、やはり人選ミスのような気する。少なくともどちらか片方には、結論に飛びつくことを諌める役割を担わせてほしかった。

それから、ブラス警部の台詞「あきらめることと忘れることは別だ」も、翻訳がちょっと違う気がする。忘れてしまったらあきらめるも何もないではないか。原語では giving up と letting go だった。これは、時を止めてしまったジャネットに対して「自分を解放して時を動かせ」と言ったのではないのか。クリマイやWaTにも、失踪した家族を探すために身も心もボロボロになってしまった人たちの話があった。そうなってしまったら、たとえ再会できてもその後の生活が大変だ。状況を冷静に見極め、事件に人生を支配されることを止めて、自分の生活をしっかり立て直せということではないか。「忘れる」は、やはりちょっと違うと思うのだ。

しかし、letting go するヒマもなくアンディは遺体で発見され、エミリーは別人になりすましているところを発見される。しかもエミリーは、父親のマイクと表向きは夫婦になっている。普通に父娘ではなく夫婦を装ったということで、またあやしい背景を想像してしまうわけだが、これは単純にコナーを「父親不詳」にしたくないための偽装だったと思いたい。

マイクはエミリーが連行されたことを知ってすぐに出頭し、娘をかばって「アンディを殺したのは私だ!」と言うが、それを耳にしたジャネットが警官の銃を奪って夫を射殺! ものすごいタイミングの悲劇だ。実はマイクだけでなくジャネットも軍隊にいたことあるの? と思うくらいの運動神経と狙いの良さ。今まで止まっていた「時」が、ものすごい勢いで破滅に向かって流れ出す瞬間――いろいろ文句も付けたが(付けすぎたかな)このドラマチックな流れは素晴らしいと思う。

さて、次は2話続けてジキル話になるようだ。次シーズンまで持ち越さないことを願う。


使用楽曲

Yoko (yoko221b) 2012-05-16