CSI - Season 11, Episode 19
女性のためのシェルターを運営しているソーシャルワーカー、アイオナ・ヴェイルが、山中でクーガーに襲われて死亡。山に来ているというのに服装はレオタードで、身体には拘束された痕跡やスタンガンによる火傷の跡があった。
アイオナのスケジュール帳から、セラピストの「ドクターK」と面会の予定があったことがわかる。「ドクターK」とはセックスセラピストのヘザー・ケスラー――かつてのレディ・ヘザーであった。
ヘザーは、アイオナに対してゲシュタルト・ロールプレイのセッションを行っていたことを話す。アイオナの役割はネコ。彼女は母親を早くに亡くし、粗暴な父親の元で弟妹たちを育て、成人してからもシェルターでずっと他人の面倒を見続けてきた。家庭の中で彼女に愛情を求めなかったのは飼い猫だけだったのだ。ロールプレイを数ヶ月続け、ようやく愛情を求められるようになったので、恋人のカーターをセッションに呼んだ。だが、最後のセッションでアイオナは「今日はここまで」と言ってもネコの役を続け、その後セッションに来なくなったという。カーターは「アイオナは6週間前に出て行った」と言い、ヘザーに対して露骨な不信感を見せる。
ホッジスは現場に落ちていた歯の欠片を分析し、人工の歯であることを突き止める。それも人間の歯ではなくネコ科の動物のもの。そこで動物専門の歯科医を調べたところ、ベガスにはただ一人、タイレル・ネスという医師しかいないことがわかる。
ネスの自宅へ行ってみると、ちょうど「アニマル・パーティ」の最中。女性たちはネコになりきり、二足歩行ができないような拘束具を身に着けて四足で歩き回り、ゲストの男性たちが「ペット」をなでている。庭にはイヌになりきった男性もいた。ネスは「アイオナはここにネコとして6週間住んでいたが、逃げてしまった」と言う。アイオナの身体に付着していた微細物は、ネス宅の庭にあったものとわかる。スプリンクラーにはアイオナのレオタードの切れ端が残っていた。
レオタードの指紋から、アイオナをネス宅から連れ出したのは、共同でシェルターを運営するデブラと判明。デブラはネコになりきったアイオナの姿にショックを受け、洗脳されたと思い込んでスタンガンを使って彼女を「救出」した。だが山の中でアイオナは車から逃げ出し、山道を転がり落ちて石で頭を打ってしまった。デブラはアイオナが死んだと思ってその場から逃げ出したのだった。
食事から帰る途中のニックとロビンスは、見知らぬ男から「女の子が部屋の中で首を吊っている」と助けを求められる。家に入ってみると、確かに少女が首を吊っており、もう息がなかった。だが彼女は妊娠しており、胎児が動いている。ロビンスはそれに気づいて緊急の帝王切開を行う。ニックが協力して赤ん坊を取り出し、赤ん坊は無事に病院へ運ばれる。
死亡したのは17歳の高校生、マリア・ディオリオ。母親は娘が妊娠していたことをまったく知らなかった。夫が病死し、突然シングルマザーになり、娘とはゆっくり言葉を交わす余裕もなかったという。
自殺で間違いないと思われたが、マリアの腕には誰かが強くつかんだようなアザがあった。子どもの父親が殺害したのではないかという疑いが生じ、携帯の通信記録を調べてみたところ、「Nカルヴァー」という人物と連絡を取っていたことがわかる。
「Nカルヴァー」は同じ高校に通うネイサン・カルヴァー。ネイサンはマリアを妊娠させ、父親になるつもりでいたが、予定日の2週間前になって急に「やはり育てられない」と態度を翻し、その日の朝に争ったことを認める。だがマリアが首を吊った時間、ネイサンは学校にいたというアリバイがあった。
さらに調べを進めると、マリアがネイサンの元彼女に恨まれて悪質なイジメを受けていたことがわかる。ネイサンはチアリーダーのキャシーと交際していたが、マリアに一目惚れし、メール1通で彼女を捨てる。プライドが傷ついたキャシーは親友たちとともにマリアを中傷するサイトを立ち上げ、マリアは世界中から非難や嫌がらせのメールを受けるようになってしまったのだ。校長はキャシーたちを停学処分にしたが、それでさらに恨まれていじめがエスカレートする結果になってしまった。
散々嫌がらせを受け、親には相談できず、頼りのネイサンからも冷たくされ、絶望したマリアは自殺してしまったのだ。エクリーとニックはキャシーと友人たちを「マリアの死に責任がある」として逮捕。だがネットごしにマリアをいじめていた延べ1000万人以上の責任はどうなるのか、とニックは疑問に思う。
ネイサンは生まれた女の子を「マリア」と名付け、父親としてその腕に抱く。
レディ・ヘザー再登場の巻。「獣人」ネタは過去シーズンで着ぐるみフェチ大会があったし、今シーズンでも狼人間が登場していた。
……うーん、正直に言ってヘザー様登場エピとしてはイマイチなんだなぁ。やはり相手がグリッソムでないと、というのもあるけれど、セラピストなんて役割がマトモすぎる。そして役割がマトモになるほど、キャラとしての面白味も減っていく。それより「館」を再開しましょうよ! 人間ペットの館の方がむしろふさわしいのではないかと思った。人間をペットにして動物扱いしているように見えて、実は人間もペットに依存している。主導権を持っているのは実はペットの側で、飼い主の方が「ご奉仕」しているという逆転の図式のようにも見える。館をたたんでカウンセラーになったのは孫娘のためだったように記憶しているが、その設定がそもそも不要だったと思う。
そして最後に、ラングストンがハスケル事件の資料をヘザーに渡し、ヘザーは「善きラングストン教授にはハスケルを捕まえられない(The good Dr. Langston isn't going to catch Nate Haskell.)」と言う。ここでハスケルについての助言を求めるのは唐突な気がしたけれど、思い出してみると、シーズン9「そばにいてほしい」でグリッソムが助言を求めた事件がハスケルの弟子による模倣事件だったので、ある意味ラングストンより前から関わっているとも言えるな。もちろん、ヘザーは性の問題を扱うセラピストであって犯罪心理学者ではないけど。
ともあれ、この場面の会話から察するに、フィナーレはハスケル対ラングストンの対決になり、グロリアが事件に巻き込まれ、ラングストンが自らの内に潜む暴力性を発揮してしまう展開になるのではないだろうか。
さて事件はもうひとつ。ニックとロビンス先生が昼食の帰りに(ベガスってそんなに食事が安いのか!)事件に遭遇。結果的に自殺だったが、先生が赤ん坊を取り上げるなど大活躍。自殺の背景事情もものすごく陰惨でイヤな事件だった。ネットでの中傷やイジメは日本でも社会問題化していて、本当に他人事ではない。ニックは「ネットごしの1100万人」の責任を問題にするが、その中にはマリアを励ましたり対策を助言したりするメールもあったと信じたい。
マリアの悲劇はネットでのいじめに加えて実生活でも孤立していたことにあったのだろう。そう思うと最後の場面はちょっとキレイにまとめすぎのような気がしないでもない。父親のネイサンが(ハスケルと同じ名前だ!)どうしようもなく無責任すぎる。ダンスの1週間前に彼女を捨てて別の女の子に乗り換え、その彼女に対しても出産予定日の2週間前になってあんな態度を取るようでは。今は赤ちゃんを前にして感動していても、そのうちイヤになってまたポイ捨てしちゃうんじゃないかって気がしてしょうがない。