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CSI - Season 6, Episode 24
#141 Way to Go
- 邦題:「サヨナラはまだ…」
- 脚本:Jerry Stahl
- 監督:Kenneth Fink
- 初回放映:2006-05-18
- At least have enough time to say good-bye to the people I love.
- I'm not ready to say good-bye.
事件概要
ウィリー・カトラー事件(前回より続き)
銃弾を受けたブラス警部は病院に運ばれる。銃弾の1発は体内に残っているが、摘出手術をすれば椎骨動脈を損傷して失血死、または障害が残るおそれがあったが、摘出しなくてもやはり危険があった。決定は、ブラスが代理人に指名していたグリッソムに委ねられる。グリッソムは手術を決意し、エリー・ブラスにメッセージを入れる。
父親に対するわだかまりがまだ解けていないエリーに、グリッソムはブラスのオフィスを見せる。そこには6歳の頃のエリーの写真があった。
手術は成功するが、エリーは結局父と言葉を交わさないまま立ち去る。意識の戻ったブラスを迎えたのは、仲間たちの笑顔だった。
ケイレブ・カーソン殺害
グリッソム、ニック、サラ、ソフィア担当。線路上で首を切断された男性の遺体が発見される。その男性は昔風の下着を身に着けており、またウェストは何と19インチ(約48センチ)という細さだった。また、その近くでは男性用のカツラが発見されるが、付近の川で発見された頭部には髪の毛があった。死因は頭部切断ではなく、銃で撃たれたこと。
発見現場付近には、衣服を燃やしたドラム缶があり、中からはコルセットに使用する鯨の骨が発見されていた。ヴィクトリア時代は男性もコルセットでウェストを細くして肉体美(?)を保つ習慣があったことから、サラはその時代の服装を売る店を訪ね、被害者がその店の顧客ケイレブ・カーソンであることを知る。カーソンの家には南北戦争当時の記念品がいくつもあった。カーソンは南北戦争当時(19世紀)の「南部連合の男」の生活様式を守っていたらしい。
コルセットは1人で着用することはできないため、誰かが着せていたはずだった。カーソンの家にあったコルセットの留め具からは、グレゴリー・キンブルの指紋が検出される。キンブルの話から、カーソンは死ぬ前に南北戦争再現劇に参加し、「ゲティスバーグの戦い」を再現していたことがわかる。カーソンはその戦いの途中、参加者のひとりに決闘を挑んでいた。その「決闘」では実弾は使用しないはずだったが、カーソンは実弾を使い相手に怪我をさせていた。
カーソンの遺体のそばで発見されたカツラは、上皮細胞からキンブルが使っていたものとわかる。キンブルはカーソンが実弾を使ったことに驚き、銃を取り上げようとした。そしてもみ合ううちに銃が発射され、カーソンは胸を撃たれて死亡。キンブルは、カーソンのプライバシーを守るためにコルセットを取り、彼の遺体を線路上に置いた。
カーソンの曽々々祖父は、北部の列車がヴァージニアに入るのを阻止しようとし、線路上で銃を撃ち、列車に轢かれて「名誉ある死」を遂げていた。キンブルはカーソンに同じ名誉を与えようとしたのだった。
マニー・ルパート変死
キャサリン、ウォリック担当。マニー・ルパートが自宅のアパートで死亡。部屋にはアルコール、ドラッグ、食べ物があふれ、鏡には銃弾の跡と血痕があった。マニーの血液からは、高濃度のアルコールとともに、ありとあらゆる種類のドラッグが検出されていた。
ソーダ缶の指紋から、部屋にいたのは売春の前歴のあるシンディ・ヒューストンと判明。シンディはマニーのペースについていけず、帰ろうとすると、激昂したマニーが銃を持ち出したので、あわててその場を逃げ出したという。
マニーの死は、糖尿病が原因のショック死と判明。その夜に摂取したアルコールとドラッグと糖分が致命的だった。マニーの妹は、自分たちの家系は四〇代で心臓発作を起こして死ぬ者が多く、マニーは前糖尿病と診断され「死刑宣告を受けたも同然」だったと話した。
感想
やっとフィナーレなのね。でもね、何つーかね、NY→マイアミ→ベガスと順番にフィナーレを見ると、最後の方の数話はもう、↓こんなんばっかりよ。何で皆して同じことやりたがるの!?(特にベガスとマイアミ)
- TO BE CONTINUED
- 撃たれた
- 「△時間前」に戻る
- メインキャラが冒頭で重傷→最後で助かる
- メインキャラのロマンス
前シーズンのフィナーレは、「CSI“12時間”の死闘」が特別だったにしても、全然そんなこと思わなかったんだけどなぁ。細かいネタかぶりはあったけれど気になるほどではなかった。
今回、エピソード自体は良かったと思う。確かに、これまでのシーズンも合わせて考えると「可もなく不可もない」レベルではあるんだけど、それでも適度にグロくて適度に変で、今シーズンの中ではかなり楽しめる部類に入ると思う。1プロットがずっと続いて、フィナーレで2プロットというのは今までのシーズンとは逆のパターン。以前「1プロットのエピソードは2プロットの2倍面白くないといけない」と書いたけれど、逆に考えると「事件描写がそれほど面白くなくても、2プロットならそこそこ飽きさせない話になる」ということなのだろうか。やっぱり無駄が少ない印象があるのよ~。今回はブラス警部の話もあったし。
前回紹介したページ(現在は削除)、その時は「傷口が撃たれた場所と同じなんだ、すごい細かい~」と思ったけど、今回よく見たら違っていた。前方から2発撃たれて、1発はベストにめり込み、もう1発を摘出したんだから、背中に射出口があるのはおかしい。
南北戦争の再現劇については、以前にジル・チャーチルの『エンドウと平和』という小説で読んだことがあったので、そういう催しがあるということは知っていた。日本でいうなら戦国武将ごっこみたいなものなんだろうか。それはわかるのだが、あのコルセットは何?
すごいウェスト……男性も本当にあそこまでしていたのだろうか。少し検索してみたのだが、男性のwasp waistに関する記述は見つけられなかった。今までJerry Stahlが脚本を手がけた作品には、いっぷう変わった趣向がいくつも取り上げられてきたが、たいていは情報が見つかっていたのに。せめて主任が見ていた本のタイトルがわかればな~。
そんなわけで、事件が面白かったのでグリッソム/サラのシーンも今回は普通に楽しめた。カメラで決闘の場面なんてすごく可愛くて微笑ましかったし、ラストシーンも、グリッソムのシャツ以外は良かったと思う。このラストシーンには賛否両論あるようだが、最後の場面なのだから、好きな人はじっくり楽しんで余韻にひたれば良いし、嫌いな人はさくっと<次のチャプタ>ボタンを押してエンドテーマに行ってしまえば良いと思う(私自身マイアミで何度もそれをやった)。
ただ、NYシーズン2「豹変」のページで紹介したレビューページにある「CSIの女性たちはsocial lifeを求めようとすると、まるでその罰のようにひどい目にあう」という指摘は、ここでもう一度思い出しておいても良いかなと思う。
というのは、サラは今まで3シリーズの中でもsocial lifeに対して最も消極的な女性として描かれてきており、それがここに来て最も幸せな恋愛をしていることが明らかになったからだ。シーズン5「主任失格」のキャサリンと比べた時に、これは何らかの意味を持ってくるのか、あるいは何も意味しないのか。まだ結論は出せないが、次シーズンでも頭の隅にとどめておこうと思う。
そうそう、前回でウォリックの指輪がない! と驚いたが、今回はちゃんと指輪をしていた。前回は忘れちゃっただけなのかな、最近ウォリックの出番が少なかったから。それがたまたまティナと口論する場面だったものだから、余計にびっくりだったわよ。
— Yoko (yoko221b) 2007-05-24