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CSI: NY - Season 2, Episode 6
#29 YoungBlood
- 邦題:「青い血」
- 脚本:Timothy J. Lea
- 監督:Steven DePaul
- 初回放映:2005-11-02
We find the weapon, we find the killer.
事件概要
ジェイソン・キンジー殺害事件
マック、ダニー、リンジー、フラック刑事担当。高級アパートのペントハウスに住む不動産王ジェイソン・キンジーが殺害された。キンジーは十代の少女とエレベーターの中で熱烈なキスを交わし、エレベーターが到着して扉が開いたところを射殺されたのだ。少女は警察が来る前に、血染めの足跡を残して現場から立ち去っていた。現場には犯行時より何日も前と思われる古い滴下血痕も残されていた。
マックはフラックを助手にして、使用された銃を絞り込む。発射残渣の形状と傷の深さは、一般に使用される銃器類の物とは一致しない。一方、ダニーとリンジーは検死結果から、被害者がパジェット病(変形性骨炎)を患っていたことを知る。これは骨が柔らかくなる病気で、そのため後頭部をぶつけた時の傷跡が、頭蓋に刻印するように残っていた。その傷跡から、キンジーと争っていた男がいたことがわかるが、その男には犯行当時「ナボコフ」というクラブにいたというアリバイがあった。
監視カメラの映像には、住人以外の人物が2人――十代の少女と帽子で顔を隠した男が映っていた。その映像と現場に残された紙片から、少女はデルモア校に通うメラニー・ドブソンと判明。メラニーはキンジーと交際していた。2人が会っていた「ナボコフ」は、十代の少女たちと大人の男性が出会うスポットだった。メラニーはエレベーターにいたことは認めたが、「爆発」があっただけで何も見ていないと言う。乾いた血痕はメラニーの父親のもの。父親は娘のことでキンジーと争ったが、アリバイは確認された。父親まで「ナボコフ」の常連であった。
監視カメラの映像を精査すると、帽子をかぶった怪しい男性は、自動車のハンドルのロックに使用する細長い筒を持っていた。それが凶器ではないかと思いついて実験すると、犯行現場と同じ状況が再現された。ダニーは同じ型のハンドルロックがあった場所を思い出す――キンジーが所有する駐車場で、使っていたのは従業員のマイク・アダムズ。マイクは「ナボコフ」でメラニーを口説こうとしたが馬鹿にされ、怒って彼女を殺そうと待ち伏せしていた。前科があるため銃を入手できず、代わりにハンドルのロックを使ってハンドメイドの銃を作ったのだ。だが間違ってキンジーの方を撃ってしまい、2発目は失敗して撃てなかった。「ドリンクをおごってやったのに、自分に気づきさえしなかった」と怒りを隠さないマイクに、マックはただ言葉を失うばかりだった。
ウェスリー・ハーディングことリチャード・コリンズ殺害事件
ステラ、ホークス担当。セントラルパークの池の中で、身元不明の男性の遺体が発見される。死因は窒息だが、首を絞めたような形跡はなかった。
不ぞろいの靴と穴だらけの靴下はホームレスのようだったが、その一方で上着やシャツや時計は高級品。シャツはオーダーメイドで、デザイナーのブランドから持ち主はナイジェル・バランタインと判明。ナイジェルと友人のベンとアビーは被害者を知っており、名前は「ウェスリー・ハーディング」だと言うが、それほど親しくはないという。その氏名からは何の記録も見つからなかった。
ウェスリーの胃の中にはロブスターが入っており、消化されていないことから食べたのは死亡する直前と思われた。死因が窒息だったのはおそらくアレルギー反応と推測して付近を調べ、ウェスリーが訪れたレストランを発見。ベン、ナイジェル、アビーも一緒だった。
一方、ウェスリーが持っていた鍵は、セントラルパークにある物置の鍵とわかる。そこには誰かが住んでいた形跡があり、学校の卒業記念アルバムが置いてあった。それらの持ち主はアレックス・ウェストン。アレックスはウェスリーの写真を見て「リチャード・コリンズ」だという。アレックスとリチャードは一緒に育ち、アレックスは奨学金を得て名門校へ進学した。リチャードは俳優志望で、アレックスから友人たちの話を聞いただけで彼らの動作をそっくりに再現してみせたという。
リチャード(=ウェスリー)は裕福な暮らしに憧れ、ベンやナイジェルは内心で馬鹿にしながらつきあっていた。そして一緒にレストランで食事をしたが、アビーはベンとナイジェルの行動に怒って中座。2人はリチャードにアレルギーがあることを知りながら、悪戯のつもりで自分たちが注文したロブスターをこっそり彼の料理に混ぜたのだ。リチャードは気づかずにロブスターを食べ、発作を起こして店を出る。ベンとナイジェルも後を追い、リチャードが死んでいるのを見つけ、柵に縛りつけて池に沈めたのだった。
感想
うーーーん……。正直に言って、あまりピンと来るものがなかった。
ストーリーが悪かったわけではないと思う。マックの事件は、何で出て来る奴皆ロリなんだ! とか箸にヘアゴム使うなよ! とかは思ったけれど、実験に実験を重ねて凶器を解明するプロセスは面白かった。それにしても、クラブ「ナボコフ」とは。ナボコフの作品って別に『ロリータ』だけじゃないのだが、でもクラブ「ロリータ」ではあんまりかも。ステラの事件も、服装と所持品から2種類の違った人間像が浮かび上がる、という謎に興味を引かれた。話の筋はきちんと収まっているし、「アイデンティティの謎と混乱、他人になりたい願望」といった統一テーマのような要素も感じられた。
そんなわけで軽く楽しむ話としては悪くなかったのだが、私としてはそれ以上の何か、感性に訴えるものが欲しかった。これは今回に限ったことではなく、シーズン2になってからずっともやもやと感じていたことなのだが、ここで思い切って書いておくことにする。情緒的な要素は、捜査ドラマとして不可欠というわけではないが、この CSI:NY では重要な要素であったと思う。少なくとも、前シーズンでは。
シリーズ第1話の「まばたき」で、身元のわからない被害者にマックは語りかける。身元不明のままなのは、誰も捜していないということ――いなくなっても誰も気づかず心配もされないということなのだろう。それでもマック・テイラーは、彼女がそこにいて呼吸していることを知っている。マックがいる限り、誰からも完全に忘れ去られてしまうことは決してない。そして、それはマックがクレアさんを忘れないこと、クレアさんが大勢の犠牲者のひとりではなくクレア・テイラーという名を持った個人であり続けることと、分かちがたく結びついている。私はあの場面をそのように理解した。「夜の獣たち」のステラや「外れた者」のダニーにも同じような真摯な優しさを感じた。
だが最近は、被害者に寄り添うような共感を見せたり、死者の魂に思いをはせることがなくなってしまったように思う。そういった感情を見せたのは、エイデンぐらいではないだろうか? そして(間接的にせよ)それ故にエイデンが去らねばならなくなったのは、象徴的なことなのかもしれない。
明るくなった画面は美しい。NYのご当地名物が登場するのはトラミス気分で楽しい。タフガイなマックはかっこいいし、ホークス先生の出番が増えたのも嬉しい。ステラの恋愛も気になる。そういう意味で、新生NYが悪いとは決して言わない。言わないが、かつてあった心にしみるような優しさや切なさが感じられなくなってしまったのは、やはり寂しい。
そうだ、今回のマックの事件、ペントハウス用のエレベーターで射殺されるというところで、カミンスキーの『死の冬』を思い出した。冒頭だけで、あとは全然違う話だったけど。
— Yoko (yoko221b) 2007-01-10