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Dexter - Season 5, Episode 9
#57 Teenage Wasteland
- 邦題:「父の誇り」
- 脚本:Lauren Gussis
- 監督:Ernest Dickerson
- 初回放映:2010-11-21
概要
デクスターは、ジョーダンが関与した証拠をつかむために彼の個人セッションを受け、血らしき液体が入ったペンダントを彼がいつも身に着けていることに気づく。
ルーメンは家に誰かがやって来たことに驚くが、それはアスターと友達のオリヴィアだった。2人は酒を飲んでおり、お互いの家に泊まると言って内緒でやって来たのだ。デクスターは「帰ったらちゃんと話し合おう」と言ってジョーダンのセッションにでかけ、ペンダントから血を一滴採取。だが、後始末が不十分だったためジョーダンに気づかれてしまう。
エンジェルはデボラの側に付くが、結局デボラは記録保管室に異動。しかしそこでドラム缶事件の資料を見て、複数の男性のDNAが検出されていたことに気づく。しかもその中にはコールの物も含まれている。結果が出る前にボイド・ファウラーの犯行と断定されたため、気づかれていなかったのだ。デボラは再捜査を主張するが、すでにボイドの犯行で片付けているラグェルタが捜査再開に同意する可能性は低いと思われた。
ルーメンからデクスターに、頭痛薬を買いに出かけた時にアスターとオリヴィアの姿が消えたという連絡が入る。携帯電話を置いて行ったことから「誘拐ではないか」という。隣家のエリオットは、見慣れない車と男の姿を見ていた。デクスターは警察に通報し、捜索が始まる。2人が消えた時にデクスターが「ジョーダン・チェイスのセッションに出ていた」と言ったため、デボラは「ジョーダンの周囲には危ない連中が……」と言ってしまい、それを聞きとがめたラグェルタに再捜査の件がバレてしまう。
エリオットが見かけた「怪しい男」の正体は、オリヴィアの母親の恋人であるバリーとわかり、2人は別の場所で保護される。2人はいったんデクスターの元の家へ戻るが、そこでルーメンはオリヴィアが虐待されていたことに気づく。アスターはオリヴィアを暴力から救うために一緒に来たのであり、携帯電話のGPS信号で居場所を知られたため、電話を置いて逃げたのだった。
デクスターはバリーをボコボコにして「オリヴィアの前から姿を消せ」と脅す。ゴースト・ハリーは「お前を誇りに思う」とデクスターを評価し、デクスターは同じ言葉をアスターに告げる。
ラグェルタはドラム缶事件の再捜査はしないと決めるが、デボラの直談判で考え直し、再捜査を認める。その時の会話で、デボラはクインがデクスターを調べていたことを知って怒る。クインはデクスターへの疑いをすでに捨てていたが、リディはまだまだ引き下がるつもりはなかった。
ジョーダンが持っていた血の主はエミリー・バーチという女性で、まだ生きていることがわかる。ルーメンのもとへは、ジョーダンから電話がかかる。彼はルーメンがデクスターに匿われていることに気づいていた。
感想
アスター家出の顛末に時間が割かれているので、フィナーレに向かう終盤前の「一休み」的なタイミングではあるものの、全体の流れで見るとけっこう重要な要素が入っているエピソードだったと思う。
まず、今シーズンの大きな流れの中では、メインディッシュであるジョーダンが本格的に「獲物」として狙いを定められたこと。そしてデクスターとルーメンがジョーダンを追う配置に着くが、同時にメトロ署でもデボラの活躍でジョーダンの周囲に捜査の手が及ぶ。そしてリディも執拗にデクスターを追う。この四者の追いつ追われつが終盤の大きな展開になるはずだ。
サンタ・ムエルテ事件は容疑者死亡で解決して、もうそれっきりなのかな。前半で何となく怪しかったマンツォン巡査も何だか小者っぽくなって、このまま終わりそう。銃撃事件の責任について、エンジェルはデボラの側に着く。良かった! ようやくエンジェルが戻って来たって感じ!
さて今回は、そのようなストーリー展開とともに「(ゴースト)ハリーが間違いを認めた」という重要な場面が描かれる。ハリーは、オリヴィアのためにバリーをボコボコにしたデクスターに対し「お前を誇りに思う」と言う。そしてデクスターは父親として同じことをアスターに言う。デクスターの望みは良き父になること――ジョーダンがどう言おうと「つかみ取る」ことのできない望みだ。
ゴースト・ハリーというのは要するにデクスターの内なる声なわけだが、生前の実在ハリーも事あるごとに「周囲に溶け込め」「他人に近づきすぎるな」と言ってきたのだろう。それが、オリヴィアを守ったデクスターを褒めた。デクスターはずっと、こんな風にハリーに認めてほしかったのだろうか、「治癒できない殺人衝動を持つ子」という烙印にひそかに苦しんでいたのだろうか……と思うと、少し胸が痛くなる。
デクスターにはちゃんと人の心があり、それが早くわかっていれば別の道を歩ませたのに――という、このハリーの台詞は今シーズンだけでなく、シリーズ全体を通じてひじょうに重要な台詞だと思う。
デクスターが自らの内なる闇 (dark passenger) を打ち払おうと決意する場面は前シーズンのラストにもあった。それは、元をたどればシーズン2の断薬会での場面で既に始まっていたことではある。だが、そもそもデクスターを殺人鬼に育て上げたハリーの判断が間違っていた、と物語の中で台詞として言わせたのは初めてではないだろうか。ハリー像もいろいろ変遷はあったが(デクスター母と浮気とか)、デクスターを育てたハリーの判断だけは「聖域」だった。
このハリーの判断は現実的に正しい物ではなく、当然許される物でもない。その点は例えば The Psychology of Dexter などに書いてあるわけだが、ドラマ設定の中では、まぁそれが正しいというか現実的な解決策だった、という前提が保たれてきた。またそれが、ありがちな「仕置人路線」と一線を画した魅力になっていたことも確かだろう。
だが、そうはいってもやはり、デクスターには主人公として視聴者の共感を得るという使命が課せられており、「無実の人間を殺すな」などと道徳的なことを言わされるようになる。それも一応は「捕まらないための方便」だったはずなのだが、最近ではデボラを撃った(と思われた)トリニティを殺そうとしたり、ルーメンの復讐に手を貸すなど、人間として共感は得られるが警察にバレそうなことを平気でやり始める。「心を持たない殺人鬼」という設定と視聴者の共感を呼ぶ主人公像の矛盾がそろそろごまかせない所へ来たのではないかという気がし始めていた。
というわけで、このハリーの台詞は、このへんで「デクスター」の精神的な立ち位置を明確にしておこうという方針なのかな……ということを思ったのである。などなど、いろいろ熱く語ってしまったけれど、これ全然見当違いだったら恥ずかしいなぁ。
— Yoko (yoko221b) 2012-01-28