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Law & Order - Season 6, Episode 3
#114 Savages
- 邦題:「残酷な罰」
- 脚本:Morgan Gendel, Barry M. Schkolnick, Michael S. Chernuchin
- 監督:Jace Alexander
- 初回放映:1995-10-18
事件概要
People v. Paul Michael Sandig (判事:Ida Boucher)
潜入捜査官のボビー・クロフトが射殺される。クロフトはヘロイン売買の囮捜査を行っており、アンティーク家具の輸入業者、テッド・クインランに狙いを定めていた。ブリスコーとカーティスはクインランを強硬に取り調べるが成果はなく、釈放せざるを得なかった。
ニューヨーク州では最近死刑制度が復活したばかりで、新聞は「警官殺しに死刑を」と書き立てる。2人は令状を取ってクインランの財政状況を詳しく調べ上げ、マネーロンダリングらしき形跡を見つけ出す。銀行内に共犯者がいて不審な取引を隠蔽したことがわかるが、その共犯者が口にした名前はクインランではなく、会計士のポール・サンディグだった。クロフトが生前にその共犯者にさぐりを入れ、それがサンディグにも伝わっていたことがわかる。
刑事たちはサンディグの事務所を捜索し、物置に保管されていた箱の南京錠を切断して電話の通話テープを発見。サンディグは銀行の共犯者からクロフトのことを聞いた後、保険会社の査定員に調査させ、クロフトが警官であることを突き止めていた。サンディグが相手を警官と知って殺害したのであれば、死刑の求刑が可能となる。
サンディグの自宅からは拳銃とクロフトのヘロインが発見され、サンディグは「第1級謀殺」で起訴される。死刑をめぐって検事の意見も分かれ、特にキンケイドは死刑に反対の態度を取るが、最終的にアダム・シフは死刑の求刑を決断し、マッコイも同意する。
サンディグの弁護人は、電話の通話テープの排除を求める。このテープの保管場所はサンディグと事務所を共有していた別の会計士のスペースであり、2人は共同経営者の関係でもなかったため、令状がカバーする範囲には入っていないというのがその理由。判事は弁護人の言い分を認めてテープを排除したため、通話テープはもちろん、そこから間接的に得た証拠(査定員の証言など)も排除される。これにより、クロフトが警官であることをサンディグが知っていたということは立証できなくなってしまう。
だが、死刑を求刑できる罪状は警官殺しだけではなく「犯罪の証人の殺害」も含まれる。クロフトはいくつもの犯罪を目撃しているはずだった。マッコイはクインランの罪状をすべて不起訴にするという条件を出して、クロフトとの麻薬取引を証言させ、「サンディグはクロフトがクインランに対して不利な証言をすることを阻止するために殺した」という理論を組み立てる。判事はこれを認め、サンディグは第1級殺人罪で起訴される。
陪審員は有罪の評決を出すが、弁護人は「NY州の死刑を定める法律は憲法が求める水準 (constitutional muster) を満たさない」という理由で控訴し、上訴部で弁論が行われる。上訴部の判事は「憲法問題はまだ論議する段階ではない」として控訴を却下。つまり、論議する段階というのは、実際に死刑判決が出た時ということになる。
判決公判 (sentence hearing) で、サンディグは過ちを犯したことを認めて後悔と反省を述べ、「本当に悪かったと思う。私は死にたくない」と涙ながらに訴える。だが陪審員の下した評決は死刑だった。
感想
1995年、ニューヨーク州では死刑制度の復活を認める法律が可決された。パタキ新知事が署名したのが3月で実際に施行されるのが9月からなので、このエピソードの放送当時はまさにタイムリーな話題だっただろう。そもそも、こんな重要なことがこのシリーズの元ネタにならないはずがないのだ。
90年代当時、犯罪の増加は深刻な社会問題であり、とにかく犯罪に対して厳しい態度を取らなければ、政治家はもちろん判事も地方検事も地位が危ないという状況だったようだ。劇中の台詞にもあるように「人々は犯罪にうんざりしていた」のだろう。そのあたりの事情は下記『死刑の大国アメリカ』に詳しい。
しかしこのような文脈で死刑を求刑される事件として思い浮かべるのは、「サムの息子」のような連続殺人犯やテロリスト、あるいは組織犯罪の大物のようなわかりやすい悪人だろう。そのようなわかりやすいモデルケースを持って来ないところが、いかにもこのシリーズらしい。警官殺しといっても相手は潜入捜査中で、見た目はチンピラ。被告人も殺人は今回が初めてで、元々やっていたのは死刑とは縁のないマネーロンダリングだ。被告人の妻は「私たちはパタキに投票したのに」と言うが、パタキが公約した死刑復活に自分たちがこのような形で関わることなど、想像もしていなかったに違いない。
弁護側は当然、あの手この手で死刑回避に動き、「被告人は被害者が警官であることを知っていた」と証明できる証拠が排除されてしまう。しかしマッコイはあきらめず、別の方向からアプローチし、麻薬の売人だったクインランの罪状をすべて不起訴にするという大盤振る舞いまでして、とにかく第1級殺人にこぎつける。これはかなり強引な手法で、売人を野放しにしてまで死刑を求刑する必要があったのだろうかと、少々疑問に思わずにいられない。
死刑制度を取り上げたエピソードは他のシリーズでもいくつかあるが、ここまで様々な立場から深く切り込んだ作品は多くないと思う。多くの場合、死刑を支持する立場からは「いかに悲惨な犯罪が現実に存在するか」を主張し、反対の立場からは冤罪の可能性や死刑にかかるコスト等の現実的な問題が指摘されて終わる。シーズン2「Vengeance(目には目を)」でのストーンとロビネットの会話もその範囲を超えていなかったと思う。
そのような、言ってみればステレオタイプな役割を担っているのは、ここではキンケイド検事と弁護人のブロリンだろう。キンケイドは明らかに死刑に反対の立場だし、ブロリンは「生きて呼吸する権利」を州の権力が奪うことに真っ向から異を唱える。
対してマッコイの主張はあくまでもドライで政治的だ。マッコイは、死刑の本質は復讐であるとズバリ言ってのける。州が当事者に代わって復讐することで(つまり「暴力装置」として働くことで)私的な復讐や自警団的な暴力が抑止され、人々はシステムが機能していることを実感できる。さらに被告人のサンディグは裕福な白人男性であり、死刑制度復活第一号の「ポスター・チャイルド」としての属性も備えている。
一方で、ブリスコー刑事の体験は切実だ。以前に一般人2人を射殺して逃走中の犯人を追跡したことがあったが、その時「銃を降ろせ!」と命じると犯人は素直に応じた。もし、先に2人を殺したことで死刑になると思っていたとしたら、その犯人は自分の命令を聞かなかっただろう――という言葉からは、現場で凶悪犯と対峙する警官の皮膚感覚を強く感じさせ、警官殺しが capital offense であることの意味を改めて考えさせる。
そして死刑の求刑を決断したのは、地方検事のアダム・シフ。ブロンクスの地方検事は「死刑の求刑はしない」と明言しているらしい。つまり、今回の犯人がブロンクスで殺人を犯していれば死刑にはならなかったのに、マンハッタンで殺せば死刑になる。それで良いのか? という疑問が投げかけられる。
しかし、被告人を死刑にすることを決定したのは上記の誰でもない陪審員だ。通常、陪審員は有罪か無罪かだけを決め、量刑は判事が行うことになっているが、死刑だけは例外的に陪審員が決めるらしい。彼らが何をどう話し合って死刑という結論に至ったか、それが最後まで語られないままだったことで余韻を残す終わり方になっていたと思う。
……とはいえ、ここで終わるわけでもないはず。弁護側が上訴して、おそらく最高裁までいくだろう。
劇中の台詞に出てきたグレッグ対ジョージア州事件は、1976年の有名な判決。1972年にファーマン対ジョージア州事件で「自由裁量による恣意的な死刑判決」が違憲とされた後、死刑存置州では恣意性を排除するためにさまざまな法改正を行い、そのうえで下された死刑判決が合憲であると判断されたのがこの事件だ。
— Yoko (yoko221b) 2011-09-04