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Chapter Twelve
Things are not always what they appear to be.
- 脚本:William M. Finkelstein, Charles H. Eglee
- 監督:Rick Wallace
- 初回放映:1996-01-22
概要
ニールの公判が始まる。検察と弁護人はTV局の撮影を排除するよう申し立てるが、Law TVの弁護士がこれに異を唱える。判事は撮影を許可するが、カメラは1台のみで陪審員は映さないなどの条件を付ける。
法廷の合間に、ホフマンはポルタレグレの調査をヴェラチェクに指示し、一方でリチャード・クロスはホフマンが何を考えているのか、ジャスティーンを通じて探ろうとする。
グラッソ検事とホフマンは、それぞれに冒頭陳述を行う。だがホフマンの陳述中に、判事のもとに緊急の連絡が入り、法廷は中断される。ホフマンの娘リジーが誘拐されたというのだ。ホフマンは直ちに自宅へ戻り、犯人からの接触に備えて待機する。
ほどなくリジー本人から電話が入り、リジーは無事に保護される。見知らぬ女性に「警察の者で、お父さんの代理で来た」と言われたという。バッジもちゃんと持っていたので、リジーは信用したのだった。ただ車でしばらく連れ回されただけなので、金目当てでも子ども目当てでもなく、何者かがホフマンにメッセージ(警告?)を送っているものと思われた。
ホフマンは改めて冒頭陳述を行い、ニールの無実を訴える。
誘拐の容疑者があがったため、ホフマンは法廷を離れ、クリスとアーノルドが反対尋問を担当。まず、リチャード・ディ・ジアコモが出廷し、ニールがジェシカとクラブで揉め事を起こし、ニールが「今度やったら殺してやる」と脅したことを証言する。だがクリスの反対尋問で、リチャードの当時の恋人がニールの映画で衣装係を務め、そこでニールと関係を持ったことがわかる。リチャードはそれを仕事仲間から聞かされ、恥をかかされたという経緯があったのだ。
リジーは容疑者の写真を見せられるが、その中に該当する女性はいなかった。リジーは、父親の仕事が時に警察と対立することを気にしていたが、ポールソンは「お父さんと私たちは意見が合わないこともあるが、どちらもとても大切な仕事をしていて、お互いにわかりあっているんだよ」と言い聞かせる。
感想
折り返し点の12話まで来て、ようやく初公判。「ダレ場篇」が終わってようやく「法廷篇」開始という所か。ホフマンの娘が誘拐されるというオマケ付き。でもすぐ戻って来たのね。これも、ストーリー展開をちょっとヒネってはすぐ元に戻すという繰り返しのような感じで、何だかな。
でも、ポールソン刑事の好感度が上がってきたのは良い。ホフマンとグラッソ検事もそうだが、事件に対してただ敵対し合うのではなく、お互いに違う立場で役割を果たしつつ確かな信頼関係を保っているのがわかる。「横暴な検察に対して、無力な被告人を守る正義の弁護士」とか「正義を貫く検事と、策を弄して悪を守る弁護士」という図式に陥らず、両者に対して感情移入ができる。刑事裁判を扱いつつ、このようなキャラクターの描き方ができるという所が、このドラマの良さなんだなと思った。これも、1話からずっと人物を丁寧に描写してきたという、ストーリーの積み重ねがあってのことだろう。
ただし、ダレることはダレる。DVDでまとめて見ているからまだマシだが、これを週一で見るのは、やはり少々辛いかも。視聴率が振るわなかったらしいのもわかるような……。
— Yoko (yoko221b) 2008-05-06