Twin Peaks FAQ – E: TVエピソード

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E26. 森でレオといっしょにいたのは誰(第2話)?

この問題も決定的な結論は得られそうにありませんが、レオの麻薬取引の関係者と考えると、ジャックだったというのが最も妥当な線でしょう。

E27. 「愛への招待状」はどうなったのですか?

ソープ・オペラのパロディITLは、第1シーズンのほとんどのエピソードに出てきましたが、第2シーズンではなくなってしまいました。

TPの脚本家のひとりであるハーレー・ペイトンはこう語りました。「ストーリーを連続させるのはとても大変で、結局あきらめざるをえなかったんです。一時は、(ITL)にレギュラーで出演している役者が街にやって来るとか、そういう遊びも考えていたのですが、結局できませんでした。映像はたくさん撮影しましたが、出来上がったものを見ると編集でカットされていたり……時間が押してくると、まずITLの部分が犠牲になってしまったんです」

ITLの断片的な映像に手がかりが隠されているのではと思った人もいました。また、ITLの役者はTPの人物の行動を模倣していると思った人もいました。しかし、それらは推測にすぎません。

ITLについての包括的な評論とエピソード・ガイドは、雑誌”Wrapped in Plastic”(「書籍その他」のP4を参照)の6号に掲載されています。

E28. あの小人は何者?

彼はマイク/ジェラードの左腕が「実体化」したもので、“ボブ”と共に狩りをしていたマイクへのリンクです。

クレジットでは、”The Man From Another Place”(別の世界から来た男)となっています(おそらく、夢の場面の台詞「私たちがいた所では、鳥たちがさえずり、いつも音楽が流れていた」からきた呼び方でしょう)。

[第3話より]クーパー: 「片腕の男がぼくに電話をする。彼の名はマイクで、犯人は“ボブ”だ……彼らはコンビニエンス・ストアの上に住んでいて、刺青をしていた。「火よ 我とともに歩め」と。マイクは殺し続けることに耐えられず、腕を切り落とした」

[第6話より]マイク: 「かつては、行動をともにしていた。……だが、神の御前に立ち、私は浄化された。そして、腕を付け根から切り落としたのだ。だが、この身は捨てなかった……時として宿る、ただ一つの、目的のために。彼[“ボブ”]を止めることだ!」

劇場版で、彼は「私は腕だ」と言い、最後の方ではマイクの横――腕があるべき位置に立ち、マイクの肩にふれています。そして2人で声をそろえてこう言います。「“ボブ”、私のガルモンボジーア(痛みと苦しみ)を返してくれ」

彼の動作、役割、そして彼が何を「表現」しているかは、まだまだ議論の対象になっています。TPの超自然的要素すべてと同じように。

E29. 巨人は「スター・トレック」に出ていませんでしたか? ラーチを演じた人ですか?

はい、彼はミスタ・ホム(ディアナ・トロイの母親の個人的な助手)を演じたカレル・ストライケンです。TVシリーズの「アダムス・ファミリー」のラーチ役ではありませんが、映画版「アダムス・ファミリー」ではラーチ役を演じていました。

E30. ジョシーがハリーを誘惑したとき、窓の外にいたのは誰(第11話)?

はっきりした回答はありませんが、おそらく香港からジョシーを連れ戻しに来た東洋人、ジョナサンであろうと思われます。

E31. マディーはカーペットの中に何を見たの(第8話)?

自分が殺される時にできるはずの血痕です。

このエピソードがヨーロッパで放映されたときは、マディが絨毯の中に血痕を見降ろしている場面が、アメリカで放映されたオリジナル版とやや異なっていました。マディには、血痕の中に“ボブ”の顔が見えたそうです。これは日本版のレーザーディスクで確認されました。“ボブ“の映像が血痕の上に、さざめきながら浮かび上がっていました。しかし、Bravoの再放送でもビデオ版(アメリカ)でも、この場面に血痕の中の“ボブ“の映像はありません。明らかに、外国向けバージョンのみの映像です。

もともとは、“ボブ”の映像がカーペットに「刻まれる」ような映像にする予定だったと言われています。オリジナルの放映時はそのエフェクトができなかったため断念され、血痕のイメージに変更されたのが、外国版のリリース時に“ボブ”の映像を出すというアイデアが復活したものと思われます。

E32. 「クリーム・コーンの少年」は何と言ったの(第9話)?

“J’ai une âme solitaire” です。これはフランス語で「我が魂は孤独」という意味です。また、ハロルド・スミスの遺書にあった文句でもあります。したがって、これも巨人がクーパーに語った言葉と同じように、予言のひとつだったのです。

E33. 「クリーム・コーンの少年」を演じたのは誰?

TV版では、デイヴィッド・リンチの息子、オースティン・ジャック・リンチが演じました。劇場版では、ジョナサン・L・レッペルが演じています。

E34. 焦げたようなにおいには、どんな意味があるの?

これも議論の対象になっていますが、“ボブ”が出現して近くにいることを表しているのだ、という説が有力です。

ジャコビー医師は、ジャックが殺害された夜と公園で襲われた夜にこの匂いをかいでいます(E47を参照)。また、マディも殺される前にこの匂いをかいでいます。

最終話(#29)で、この匂いと赤い部屋への入り口があるグラストンベリー・グルーヴの小さな池の中身が同じ匂いであることがわかります。

劇場版では、リーランドとローラが車に乗っているところへ、フィリップ・ジェラード/マイク(片腕の男)が現れます。リーランドはわざと車のエンジンを加熱させ、焦げたにおいをカモフラージュしました。

E35. 白い馬には、どんな意味があるの?

これも議論の対象です。

一説では、これは『ローラの日記』に出てきた、ローラのポニーの幻であると言われています。しかし、日記によるとポニーの色は「シナモン・レッドと濃い茶色」で、白ではありません。

また一説によると、薬によるサラの幻覚だと言われています。これはリーランドが、ローラを虐待する前やマディを殺害する前に、サラに薬を飲ませた時に馬が現れているからです(また、馬(horse)は俗語でヘロインを表しているそうです)。

また別の説によると、これは聖書の『ヨハネの黙示録』(6:8)に出てくる死の予兆です。

我見しに、視よ、青ざめたる馬あり、これに乗る者の名を死といい、 陰府(よみ)これに随う。

※訳は筑摩書房の世界古典文学全集5「聖書」より。同書の注釈によると「青ざめたる馬」はペストによる死を示すとのこと。

この記述から、死に神はよく青ざめた馬に乗った姿に描かれます。ローラの死の前にもマディの死の前にも馬は出現しています。

白い馬は、チュートン(ゲルマン)の神話でも死の象徴とされています。

この説は、リンチが書いた丸太おばさんによる第14話(マディの死)の前説でも裏付けられます。

詩は木のように素晴らしいですね。 夜の風は吹き荒れ、枝はそこかしこに揺れる ざわめきが、魔のざわめきが暗き夢を誘う 痛みと苦しみの夢を 苦しむ者の痛み、苦しめる者の痛み 痛みの環、苦しみの環 悲しきかな、青ざめたる馬を見し者。

E36. 「ふくろうは見かけとは違う」はどういう意味?

これはひじょうに難しい問題です。単純に考えると、これは巨人がクーパーに伝えたことで、ブリッグス少佐は思ったよりも重要人物だったということでしょう。

しかし、ふくろうはシリーズ全体で何度も登場するので、もっと重要な意味がありそうです。

ふくろうが最初に登場するのは、第4話のラスト、ジェームズとドナが土に埋めたネックレスを取りに行くところです。ネックレスがなくなっているのを2人が見つけるところを、ふくろうが見ています。

次は、第5話で、クーパーたちがジャックの小屋へ行く途中に丸太おばさんを訪ねるところです。丸太おばさんは「ふくろうにはここが見えない」と言います。

巨人のメッセージ「ふくろうは見かけとは違う」は第8話に出てきます。また、第9話では、ブリッグス少佐が外宇宙からのメッセージの中にこの文句を発見しています(第19話で、メッセージは外宇宙ではなく森の中から発せられたことが明らかになります)。

また第9話には、“ボブ”の顔にふくろうのイメージが重なっている映像がクーパーの夢に出てきます。

第12話の冒頭、クーパーが「片目のジャック」からオードリーを救い出す場面の直前と、第13話でクーパーがオードリーをブックハウスに連れて行く場面でも、ふくろうが出てきます。

第14話(マディが殺される話)では、丸太おばさんが「何がいつ起こるかわからないけれど、ロードハウスにふくろうがいる」と言いますが、鳥は出てきません。そこにはウェイターと巨人と歌手がいたので、ふくろうとは、実際に鳥の形をしているとは限らないと思われます。

第16話のラストでリーランドが死んだ後、トルーマンが“ボブ”は今どこにいるのかと言います。そこで場面が変わり、カメラが地を這うように夜の森の中を動いて行きます。そこで映像が停止し、突然ふくろうが現れてその話は終わります。

第17話では、クーパーが用を足し少佐が消える時にふくろうが現れます。第19話では、空軍大佐のライリーがクーパーに、ブリッグスが消えたときにふくろうを見なかったか、とたずねています。第20話で少佐が現れた時、彼は、はっきり覚えているのは巨大なふくろうだけだと言います。

また第21話では、レオが目を覚まして斧を片手にシェリーを追い詰めますが、この時もふくろうが見ています。

第24話では、丸太おばさんが、夫が火事で死んだ時にふくろうの鳴き声を聞いたと言います。

第25話では、クーパー、トルーマン、ホーク、アンディがふくろうの洞窟の中にいる時に、ふくろうが彼らの周りを飛んでいます。アンディがふくろうに斧を振ると、その斧が壁に突き刺さり、中に隠れていた棒が見つかります。

第26話では、フードを被った人物のシルエットの中に、夜空を飛ぶふくろうが見えます。

第29話では、クーパーがシカモアの木の輪に入る前に、ふくろうが木にとまっているのが見えます。

『Welcome to TWIN PEAKS~ツイン・ピークスの歩き方』のp.46~47の「火明かりのそば、フクロウのように」(「書籍その他」のP1を参照)には、(シリーズに出てきた大きなフクロウが舞い降りる写真とともに)次のような記載があります。

その声がわたしたちの心の中に喚起させるのは、畏怖の念ではなく、過去との繋がり――まだ未開の状態にあった人類が、初めてアメリカワシミミズクのオーボエのような鳴声を耳にしたころから現在まで連綿とつづいている糸の存在――です。旧石器時代には、鳴声に予言が秘められているのではないかと考えた人間は、そこにさまざまな問い掛けを聞き取りました。その内容までは聞き取れはしなかったものの、以来、問い掛けは答えられることなく、わたしたちの内部にいすわりつづけています。この太古の昔から親しまれてきた鉤爪をもつ鳥が、わたしたちの見えていないものを見、けっして知ることのないことを知っているのはたしかです。いつの日か、滑空する鳥を思わせるような静寂が支配する夜に、その知識の広大さはたき火の端に陣取るわたしたちを呑みこみ、われわれの知りたいこと、そして知りたくない事柄までを告げるでしょう。陰に覆われた森の中で、わたしたちはこの魅惑的で秘めやかな影のような存在にひっぱりまわされ、と同時に、魅了されているのです。

※訳は『Welcome to TWIN PEAKS~ツイン・ピークスの歩き方』(リンチ/フロスト/ワーマン著、高橋良平監修 扶桑社)より。

ふくろうは、アメリカ先住民族の神話にも登場します。

多くの部族で、ふくろうは不吉な前兆である。北西部では、ふくろうは死期が近い人間の名を呼ぶという。スー族やヒンハン族では、ふくろうは銀河への入り口を守っており、死者の魂は銀河を渡って霊の国へ行く。手首その他に正しい刺青をしていない者はふくろうの検査に不合格となり、底知れぬ深みへと落とされる。 OrtizおよびErdoes編、”American Indian Myths and Legends”より。pp 399-400

トレヴァー・ブレイクは、ふくろうの象徴性は書籍『コミュニオン』にも共通すると指摘しています。

ツイン・ピークスでのふくろうへの言及は、ホイットリー・ストリーバーの『コミュニオン』を読むとよくわかります。
『コミュニオン』は、ストリーバーが「人間以外の知的生命体と個人的に接触した経験を精密に述べた」記録です。「ビジター(訪問者)」と呼ばれる生命体は、ストリーバーを夜の森から誘拐して「不潔な」部屋へ連れて行き、邪悪な心理的/医学的実験を施しました。ストリーバーはその後、別の環境でビジターと遭遇し、彼やその他多くの人々の人生全体に見えない影響を与えていることを知ります。『コミュニオン』は同じタイトルで映画化され、『トランスフォーメイション』という続編もあります。シリーズの3作目もアナウンスされています。遭遇のモチーフはは小説”Majestic”でも使われています。
『コミュニオン』では、遭遇の次の日の描写が次のようになっています。
「二十七日の朝、わたしはまったくいつもどおりに目を覚ましたが、心の中では、まぎれもない不安感と、夜中に窓の外からじっとこちらをのぞきこむメンフクロウがいたという、とうていありそうもないのだがいやにはっきりとした記憶にさいなまれていた。」
彼は後に記憶を呼び覚まし、ふくろうがビジターとの遭遇からくるトラウマを隠すための「隠蔽記憶」であることを知ります。
これらのふくろうは、「見かけとは違う」(TP第8話)わけです。これは、別の世界からのビジターが誰かを連れ去る(TP第17話)ときに、人間ではない不吉な存在がつけている仮面(TP第9、第14話)なのです。ストリーバーは森の中で(TP第4、第16、第19話)で遭遇しますが、彼らは地球上の存在ではありませんでした(TP第9話)。遭遇について彼が覚えているのはふくろうだけでした(TP第20話)。後に、催眠療法を用いてストリーバーは事件全体を思い出し、同じように別の時に「ふくろう」が彼を見ていたことも思い出しています(TP第4、第5、第21話)。
ストリーバーが「不潔な」部屋で遭遇した不快さは、TPとFWWMの超自然的な状況の多くと雰囲気が共通しています。彼はTPの登場人物と同じように、身体に奇妙な小さい傷をつけられます。自分の記憶と体験を、幻や狂気ではなく「真実」として受け入れた後、ストリーバーはその体験を純粋に現実のもの(UFOのパイロットが彼を誘拐した)とするのではなく、また純粋に霊的なもの(ビジターは現代の妖精である)とするのでもなく、両者を合体させようとしています。これは、TPが「サイエンス・フィクション」でもなく「オカルト」でもなく、両者を合体させたものであるのと似ています。
『コミュニオン』は、TPが放映される3年前、1987年に出版され、今でも高い人気を保持しています。TPの中でのふくろうの使い方を見て、私はすぐに『コミュニオン』の中のふくろうを思い出しました。ふくろうが外宇宙からのメッセージに関連しているとわかる(TP第19話)頃には、このシリーズのテーマには『コミュニオン』の影響が大きいことがわかっていました。『コミュニオン』は面白い本ですが、ツイン・ピークスの元ネタに興味のある人には特に面白いでしょう。
[私は”Film Threat”誌の1992年10月号の14ページに載った’Barton Fink or Eraserhead?’という記事の筆者です。これにはTPエピソード・ガイドとFWWMの予告編も載っています。(「書籍その他」のP4を参照)]

※引用中、訳文は『コミュニオン』(ホイットリー・ストリーバー著、南山宏訳、扶桑社ノンフィクション)を使用しました。

実際のエピソードには含まれていない伝聞情報になりますが、ある投稿によると、ボブ・エンゲルスは「ふくろうは巨人のように何かに宿る霊ではなく、ロッジの住人に対する重要な出来事の目撃者(スパイ?)である」と言ったそうです。

これについても、数年にわたり議論が繰り返されています。

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