E37. ジョシーには何が起こったの(第23話)?
グレート・ノーザンでジョシーが死亡した時、ベッドの脇にあったナイトスタンドの引出しの木のノブに、彼女の魂が閉じ込められた(またはそこへ逃げ出した)ようです。
第24話の冒頭で、クーパーはジョシーが「恐怖のために」死んだと説明しています。このエピソードではその後、ドク・ヘイワードがジョシーの死因が見つからないこと、また彼女の体重が65ポンド(約29.5kg)しかなかったと言います。
一部の人の考えでは、丸太おばさんの夫の魂は彼女の丸太に入っており、ジョシーも同じようになぜか木の中に閉じ込められたのだということです。第27話で、ピートはグレート・ノーザンで木の壁を見てジョシーの顔が見えると言います。その場面の直前、ベンはオフィスの中で何かの音を聞き、振り返って何かに驚きますが、それが何なのかは見えません(E58を参照)。一部の推測にすぎませんが、これもジョシーの顔だったという考える人もいます。
ジョシーについて最後に言及されるのは第28話のラストです。クーパーはトルーマ
ンに、ジョシーが死んだ夜のことを語ります。
ク: 彼女は恐怖に震えていた。まるでおびえた動物のように。おそらく彼女は、恐怖のために死んだんだろう。彼女が息を引き取った時、”ボブ”の姿が見えた。……まるで、時間の裂け目から滑り落ちてきたように。よく考えると、奴の出現とジョシーの恐怖には関連があるように思えてくるんだ。まるで奴が恐怖に引き寄せられ……その恐怖を摂取しているように。
ト: “ボブ”とブラック・ロッジには関係があるのか
ク: ハリー、“ボブ”はブラック・ロッジから来たんじゃないかな。ブラック・ロッジは君が以前言っていた「森に棲む邪悪なもの」だと思う。ウィンダム・アールがそこへの道を探しているのなら、彼より先に見つけなければ。それは巨大な力の源なんだ。我々の力をはるかに超えている……。
話はジョシーと“ボブ”から“ボブ”とブラック・ロッジのことに移り、物語はブラック・ロッジへと移行したので、“ボブ”がジョシーを木のノブに閉じ込めたのかという謎は謎のままなのです。
E38. クーパーとウィンダム・アールは本物のチェスをしていたのですか?
違います。脚本家はお手上げになってしまいました。TPの脚本家兼プロデューサーのハーレー・ペイトンによると、フロストは早々とゲームへの興味をなくしてしまい、他の脚本家たちは、セットにいる「自称チェス名人」たちからぽつぽつとアドバイスを受けて手を決めていました。彼はこう言いました。「もっと正確にやるべきだったんだが、すっかり悩みの種になってしまったんだ」
ロング形式のエピソード・ガイド/タイムライン(E4を参照)には、ドラマの中で示されたチェス盤の位置が詳しく記載されています。
チェス・ゲームの詳細な分析は、TPの雑誌”Wrapped in Plastic”(「書籍その他」を参照)第4号の巻頭記事に載っています(P4を参照)。
E39. ダグパスとロッジの物語上/神話的な意味は何ですか?
フィクション: 1926年、タルボット・マンディは”The Devil’s Guard”というアドベンチャー・ファンタジィを出版しました(“Ramsden”というタイトルでも出版されている)。ここではダグパスとブラック・ロッジが用いられており、シリーズ中でウィンダム・アールが説明したものはこれにひじょうに良く似ています。TPの雑誌”Wrapped in Plastic”(「書籍その他」のP4を参照)の第3号には、この本について詳しい記事が載っています。
史実: チベット仏教にダグパスというセクトがありました。クリスマス・ハンフリー
の”Buddhism”にはチベット仏教についての章があります。英国のペリカン文庫版では、
190ページの”History of Lamaism”の中にあります。
「17世紀より前は、チベットの唯一の宗教はボン教であった。……しかし、彼らボンパスをダグパス、すなわち、ミラレパの精神的な末裔によって12世紀の高地チベットに設立されたダグパ派(チベット仏教の)と混同してはならない。この宗派は「赤帽(レッド・ハット)派」と呼ばれ、後に宗教改革を行う「黄帽(イエロー・ハット)派」と区別される。また、ボン教の儀式に縮小され、ボンパスおよび黒魔術と同義になっていった。」
興味深いことは、ダライ・ラマが黄帽派の精神的な長であり、赤が待合室とMFAPの服の色だということです。
ホワイト・ロッジのアイデアの素になったのは、おそらく神智学の提唱者のひとりであるヘレン・ペトローヴナ・ブラヴァツキーでしょう。彼女は、人類を精神的な進化へ導く(ポジティブな方向へ)、精神的指導者(または導師)のグループである「グレート・ホワイト・ロッジ」について記しています。この説は、ブラヴァツキー夫人が登場するマーク・フロストの小説『リスト・オブ・セブン』(「マーク・フロスト」のM5を参照)でも裏付けられています。
E40. 赤い部屋とブラック・ロッジとホワイト・ロッジの関係は?
赤い部屋がどちらかのロッジを表しているのか、ロッジへの「待合室」なのか、またはまったく異なるものなのかについては、延々と議論されて来ました。このFAQの著者である2人(訳注: ジム・ペルマン氏とリッチ・ヘラー氏)の意見もお互いに異なっているぐらいです。
3つのコメント(ジム、リッチ、デイヴィッド・リンチ)を紹介しましょう。
ジムの意見では、赤い部屋=ブラックロッジであることが2ヶ所で示唆しています。
1) 第29話で、ウィンダム・アールがブリッグス少佐に(サラ・パーマーを通じて)こう言います。「私はデイル・クーパーとともにブラック・ロッジにいる。あなたを待っている」
2) 劇場版の撮影台本では、最後の赤い部屋の場面はリンチによって”Red Room/Black Lodge”と書かれています。
リッチはそれに反対です。彼の意見はこうです。
ブラック・ロッジとホワイト・ロッジは同じもので、どちらになるかを決めるのは人間の精神なのです。ミルトンは『失楽園』の中でこう書いています。
心というものは、それ自身一つの独自の世界なのだ、 ――地獄を天国に変え、天国を地獄に変えうるものなのだ。
※訳は『失楽園』(平井正穂訳 岩波文庫)より。
ホークはこう語っています(第18話)
ホーク: クーパー、あんたはこの世界では何も恐れることはないかもしれないが、別の世界もある。
クーパー: 話してくれ。
ホ: おれの部族では、ホワイト・ロッジは人や自然を支配する精霊のいる場所だと言われている。
トルーマン: そういう言い伝えがあるんだ。その逆も。
ホ: ブラック・ロッジという場所もあるという……ホワイト・ロッジの影だ。伝説によると、どの魂もブラック・ロッジを通らねば完全な存在にはなれない。そこでは、影の自己に出会う。我々はそれを「境界域の住人」と呼んでいる。
ク: 「境界域の住人……」
ホ: ブラック・ロッジに立ち向かうとき、勇気が足りなければその魂は破滅するという。(「住人」についてはE43を参照)。
ウィンダム・アールはこう言います(第26話)。
昔々あるところに、ホワイト・ロッジという善の国があった。そこでは可愛い仔鹿たちがはねまわり、笑いさざめく幸せな精霊たちが住んでいた。無垢なる喜びの音楽が流れ、雨が降るとそれは甘い蜜となり、人々の心にしみこんで真実と美の人生を生きようという希望を満たした。
概して言うなら、美徳が腐臭を放つぞっとする場所だ。母親だの、めそめそした赤ん坊だの、馬鹿だのが、老いも若きもこぞって理由もなく善であらねばという観念に支配され、膝まづいて祈っている。そんな連中ばかりだ。ハハッ!
だが幸いなことに、この話には続きがある。この甘味料過多の世界とは正反対の世界があるのだ。想像もできないようなパワーの世界で、闇の力と邪悪な秘密に満ちている。敬虔な人間はこの恐ろしい世界に足を踏みいれたりはしない。そこにいる霊たちは良き行いや司祭の祈りなど気にしない。嬉しそうに「こんにちは」と言いながら骨から肉をかじり取ってしまうのだ。
この、引き裂かれた魂と慟哭の国の霊たちを支配できたなら、おそろしく強大な力を手にすることができる。地球さえ思いのままに支配できるぐらいのパワーだ。そう、私が話しているのはこの世界–ブラック・ロッジだ。私が探しているのはそこなのだ。
E44のブリッグス少佐についてのコメントも参照してください。
リンチ本人は、赤い部屋が何なのか自分は知らないと言っています(ドイツの映画雑誌より)。
「ツイン・ピークス」のシリーズと映画に出てくる「赤い部屋」が何なのか、皆知りたがっていますが、私自身正確にはよくわからないのです。このアイデアを思いついたのはいつかということはよく覚えているのですが、なぜかということはわかりません。論理的に見ると、私は床のパターンと同じようなものを「イレイザーヘッド」でかつて使いました。その他は、純粋にインスピレーションの問題です……赤いカーテン、様式化されたデザイン、踊る小人。表現したいということは言えても、それが何かということは言えない。直感は論理的ではないからです。いずれにしろ、私にとって現実とファンタジーの区別は明確ではないのです。これが何なのか、いつかわかった時には自分でも驚くでしょうね。
その他のアイデアや議論については、注釈つきの第29話タイムラインを参照してください。これは、シリーズ最終話が最初に放映されたときにalt.tv.twin-peaksにポストされたコメントを、ジム・ペルマンが編集したもので、TWIN PEAKS ONLINEから入手できます(訳注: attp_final_episode_comments のことと思われます)。
(同じような注釈つきの劇場版タイムラインも、赤い部屋とロッジについての議論を含めて作成する予定です。これは、劇場版が公開された時点での投稿を基にします。乞うご期待!–ジム)
E41. ブリッグス少佐はホワイト・ロッジへ行ったのですか?
おそらく行ったのでしょう。少佐がボビーに語った夢の話や、第20話の冒頭でジャングルの中で石の玉座に座っている映像や、第19話で空軍大佐ライリーがしぶしぶとホワイト・ロッジについて語ったことが証拠です。
E42. サラ・パーマーを通じてブリッグス少佐に語りかけたのは誰(第29話)?
TVのクローズド・キャプションによると、変な発声で語られた台詞は「ウィンダム・アールの声」となっていました。
E43. 「ドッペルゲンガー」とは?
直訳すると「double walker(二重歩行者?)」です(ドイツ語)。
ドッペルゲンガーの定義のひとつ(最も初期の記録)は「自分自身を見た人間」です。これは不吉な、特に死期が近いことの前兆とされていました。また、ドッペルゲンガーがその人に出会うと、お互いに相手を破滅させるという言い伝えもあります。TPでは、ドッペルゲンガーは、ある人格の「ダーク・サイド」が実体化したものであり、その人の悪業を集積したものとなっています。このような存在は「境界域の住人」と呼ばれ、克服すべき勢力、「アストラル水準」の伝授を受けた人間と対決すると考えられています(第18話のホークの話を参照)。「境界域の住人」という言葉は、ブルワー=リットンの小説”Zanoni”に初めて登場しました。
その他のアイデアや議論については、注釈つきの第29話タイムラインを参照してください。これは、シリーズ最終話が最初に放映されたときにalt.tv.twin-peaksにポストされたコメントを、ジム・ペルマンが編集したもので、TWIN PEAKS ONLINEから入手できます(訳注: attp_final_episode_comments のことと思われます)。
E44. ブラック・ロッジでクーパーはどうなったのでしょう?
これは、最終話を見た人の数だけ解釈があると言っても過言ではありません。すべてここで紹介することはとても無理です。
その他のアイデアや議論については、注釈つきの第29話タイムラインを参照してください。これは、シリーズ最終話が最初に放映されたときにalt.tv.twin-peaksにポストされたコメントを、ジム・ペルマンが編集したもので、TWIN PEAKS ONLINEから入手できます(訳注: attp_final_episode_comments のことと思われます)。
リッチの解釈はこうです。
彼はブラック・ロッジと対決した時に「勇気が足りなかった」ため、善のクーパーと悪のクーパー(ドッペルゲンガー)に分裂しました。善のクーパーはロッジに閉じ込められ、外界では悪のクーパーが彼の位置を占めたのです。しかし、これは必ずしも悪い結果とは言えません。劇場版のラストでローラが「煉獄」(待合室)から「天国」(ホワイト・ロッジ)へ行くことができたのは、明らかに善のクーパーがロッジにいたからなのです。
ブリッグス少佐(第17話): 「世の中には、邪悪な力が存在している……巨大な暗闇に向き合う運命を持った人間もいる。そこでどうするか、我々は選ばねばならない。恐れることを選べば、闇に対して無力になる。抵抗する方法はある。あなたには、持って生まれた力がある。その意味では、あなたは一人ではない。ホワイト・ロッジのことを聞いたことがあるかね?」
ホーク(第18話): ブラック・ロッジに立ち向かうとき、勇気が足りなければその魂は破滅するという」
クーパーはブラック・ロッジでの戦いに破れたという意見が一般的ですが、反対する人もいます。ジェフリー・スチュアートの意見を紹介しましょう。
クープが“ボブ”に乗っ取られた理由は、ブラック・ロッジの中で、アニーを助けるために、ウィンダム・アールが自分の心臓を刺して(シンボリズム)魂を奪うことを許したからです。クープは自分の魂をアールに渡してアニー・ブラックバーンを救ったのです。
“ボブ”が現れてこう言います。アールは間違っている、魂を奪えるのは“ボブ”だけだ、なぜならその種の邪悪な力を持つ者は“ボブ”だけなので、彼は死なない、と。次に“ボブ”はウィンダム・アールの魂を奪い、さらにクーパーの魂を奪います。クーパーは自分の魂を差し出し、アールがそれを取りましたが、アールの真の師は“ボブ”だったので、“ボブ”がアールから2人の魂を奪ったのです。クーパーが自分の魂をアールに、従って“ボブ”に渡したため、彼は乗っ取られたのです。
クーパーはブラック・ロッジで自分のドッペルゲンガーに「出会い」ましたが、これはホワイト・ロッジで出会う場合とは意味が違います。追跡の場面は何だったのでしょう? これは何通りにも解釈できますが、主要な意見では、ブラック・ロッジもホワイト・ロッジも物理的に存在する場所ではありません。それは人間の魂と意識が出会い、運命を決するところなのです。この意味で考えると、追跡は物理的な場所で行われたのではなく、ドッペルゲンガーからの退却でもありません。
思い出してください。クーパーはすでにアニーを救うために「悪魔との契約」を結んだのです。彼の魂はすでに奪われているのです。彼は魂を犠牲にして彼女を救いました。それには多大な勇気が必要です。あの追跡は、ドッペルゲンガーに抵抗しようとするクーパーの魂と理性の最後のなごりだったのです。この追跡はクーパーの心の中にある心的劇場で行われました。彼の品性の最後のなごりが、圧倒的な真実――彼の魂がすでに悪に奪われたという事実――をはねのけたのです。
このニュースグループに投稿された意見には、追跡の場面によって、クーパーが邪悪なドッペルゲンガーに敗れたことを、彼の内面的な弱さや不完全性の例証と解釈するものもありますが、私は反対です。それはクーパーというキャラクターの成長と完全に矛盾するからです。リンチとフロストが、29話にわたるクーパーの成長をなぜ否定しなければならないのか、それを説明する理由は何も――論理的な理由も直感的な理由も含めて何もありません。
クーパーに欠点があることはわかっています。彼はいくつも誤りを犯したし、キャロラインとの不幸な過去もありました。また、ブラック・ロッジで自分にどのような試練が降りかかるかを、彼が他の誰よりもよく知っていたということもわかっています。このような洞察力は、幻と、別世界との交信と、経験的観察と、直感によって与えられたものです。要するに、彼は巨大な悪と対決しなければならないとわかっていながら、アニーを救うためにロッジへ入ることによって完璧な勇気を示したのです。もし勇気が足りなければ、足を踏み入れることもできなかったでしょう。
私はむしろ、クーパーは悪と対決する際に、究極の、完全な勇気を示したのだと信じています。彼は自分の魂を捧げて愛する者を救ったのです。この犠牲は彼の英雄性を損なうものではありません。また、どんな英雄にも欠点はあり、過去に誤りを犯しているものです。その人物を英雄たらしめているのは、その逆境にどう対処し、どれだけの犠牲を進んで払うことができるかということです。ガーランド・ブリッグス少佐がTPにおける理性の思考的中心であるように、クーパーは行動の倫理的中心なのです。
もし、クーパーが最終話で見せた逃走を彼の倫理的力の欠如とするなら、今までのエピソードで見られた倫理の構築を捨ててしまうことになります。このストーリーの主人公が弱く、自らの恐怖に立ち向かえないのであれば、善と悪の闘いも有り得ません。さらに、クーパーは自らの恐怖に立ち向かえる人間であるということは、ほとんどすべてのエピソードで証明されてきました。その彼が、最終話になって突然に倫理的な力を失うのは何故なのでしょう?
答えはこうです――失ってはいなかったのです。エゴイスティックに受け取られたくはありませんが、もしもTPがもう1シーズン続いていたら、リンチとフロストはホワイト・ロッジの力によってクーパーをジレンマから解き放っていただろうと、私は確信しています。どんなドラマ世界でも(リンチとフロストの世界でさえ)、主人公が愛のために身を捨てて自己犠牲を払うときは、かならずや良い結末に終わるはずなのです。その途中で悲劇が起こったとしても、クーパーは平凡な人間ではありません。ある意味で最高の人間性を発揮できる人物なのです。
ローラの力は、彼女を“ボブ”に殺させ、それによって彼女は“ボブ”の支配を逃れました(ローラの秘密の日記より)が、クーパーはそれよりさらに強い力を持っています。TPがもう1シーズン続いていたら、クーパーの心の最後のなごりがホワイト・ロッジのパワーを引き出し、“ボブ”から自分を解放したでしょう。その結果、“ボブ”は破れ、破滅したでしょう。
思い出してください。クーパーは何度も巨人の助けを得ています。巨人は“ボブ”と同じように、人間の宿主を得てロードハウスやグレート・ノーザンに姿を表しました。また、“ボブ”を止めることを誓った片腕の男を軽んずることもできません。はっきり言うなら、クーパーの運命を封じ込めてしまうには、TP世界には善の要素が多すぎるのです。ホワイト・ロッジはまだ登場していませんが、私はTPのその後のエピソードには登場すると思うのです。ですから、(一部にいるはずの)楽天主義の皆さん、元気を出しましょう。結末ではすべて良くなるはずです。でなければ、シリーズで構築された倫理とドラマ性がすべて藻屑となり果ててしまうのですから。
E45. ~は死んだの?
アンドリュー: おそらく死亡。しかし彼はすでに一度「死んでいた」ことをお忘れなく。 🙂
オードリー: おそらく生存。ただしシリーズから外される予定であれば別。オードリーはもっとも人気のあるキャラクターの一人です。初期のクリフハンガーものでは、さらに絶望的な状況から生還したキャラクターもいました。
ピート: 生存可能性は同上、あるいはさらに高いかも。デイヴィッド・リンチの親友。
ベン: 確実に生存。彼の額の血はTPの典型的な「二重」構造で、ラストのクーパーと対になっています。あるいは、ネイディーンと同じように以前のような悪人として目を覚ますというのもありそうです。
アニー: 死んだのではなく、昏睡状態。起こしてくれる王子さまが必要なようです。
E46. 物語はまだ続くのでしょうか?
訳注: このFAQがまとめられたのは、続編(2017年)制作の話が持ち上がるずっっっと前です。
それは、誰に話すかによります。
これは、劇場版がカンヌで酷評された後に、デイヴィッド・リンチがドイツの映画雑誌に特別寄稿した文章です。「はっきり申し上げましょう。「ツイン・ピークス」の作品はもう制作しません。これで終わりです」(原文はドイツ語から訳されたためか、文がややぎこちない)
その一方で、ボブ・エンゲルス(TVシリーズと劇場版の脚本家でTVシリーズのストーリー・エディター)は、劇場版で十分資金が稼げたら続編も有り得るが、数年は他のプロジェクトのため着手できないと言っています。「十分」とはどの程度でしょうか?劇場版は大当たりこそしていませんが、特に海外でかなりの業績をおさめたはずです。
マーク・フロストは質疑応答で次のように言っています。
Q: ストーリーを続ける可能性はありますか? 完結編の映画についてはどうでしょうか?
A: それは、かなり難しいですね。セットは取り壊したし、資金がありません。「尻切れトンボになった話も、あと何時間かあれば結末がつけられるのですが」また、俳優たちを再び集めるというのも難しいでしょう。「あるいは、『ツイン・ピークス――50年後』として、老人になった高校生たちを出演させるとか」(笑)
Q: ストーリーを本で続けるというのはどうでしょう?
A: 一時期は、「ジェームズ・ミッチェナー形式で、ツイン・ピークスの歴史を、山(ピークス)の地質学的な形成時にまでさかのぼって記述した本」を書こうと思ったこともあるのですが、実現しませんでした。
さて本命は? 時間がたてば、リンチも考えを変えるかもしれませんが、オリジナルのキャストを揃えるのは難しくなります。ありそうな話としては、劇場版のミニシリーズ・バージョンで、90分ぐらいのカットされた映像や追加の映像が公開されるということでしょうか。それがうまくいけば続編の可能性もあります。TPのビデオやLDを買うように友人たちに勧め、お祈りしましょう。